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作品リスト

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あした元気になーれ! 半分のさつまいも対象 : 全年齢 / 時間 : 90分かよ子の家は東京の下町、昔の住所でいえば本所区立川にあった。家の屋号は「竿忠」といい、父は釣り竿作りの職人で、母、祖母、4人の兄弟、一家7人で暮らしていた。戦局がきびしくなり、かよ子は沼津の静江叔母さんの家に縁故疎開する。米軍のB29による本土空襲は本格的になり、昭和20年3月9日未明、後に「東京大空襲」とよばれる空襲で東京の下町一帯は火の海となった。家族の無事を祈っていたかよ子の元にやって来た兄の喜三郎は、衝撃的な事実を伝える。喜三郎以外の家族全員が亡くなったと…。
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原爆の子対象 : 全年齢 / 時間 : 98分石川孝子は昭和二十年八月七日原爆が投下された時広島に住んでいて、家族の中で彼女一人だけが生き残った。その後瀬戸内海の小さな島で女教員をしていた孝子は、原爆当時勤めていた幼稚園の園児たちのその後の消息を知りたいと思い、夏休みを利用して久しぶりに広島を訪れた。街は美しく復興していたが、当時の子供たちは果たしてどんなふうに成長しているだろうか。幼稚園でともに働いた旧友の夏江から住所を聞いて次々と訪問していく…。
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蒼い記憶 満州開拓と少年たち対象 : 全年齢 / 時間 : 90分昭和16年(1941年)小学六年生の恭太と健次が住む、長野県の山間部にも戦争の波がおしよせていた。ある日、中国の戦場から健次の兄圭一が右足を失った姿で帰ってくる。その年の12月8日、太平洋戦争が始まる。数年後、高等科を卒業した健次は師範学校へ進学する。恭太は同級生の順平や勇介と共に、日本の国のためになると信じて満蒙開拓青少年義勇軍に入り、約八千人の仲間とともに満州に渡った。満州北部のソ連国境に近い訓練所に着いた恭太たちは、炎天のもとでの荒れ地の開墾、零下四〇度の真冬の軍事訓練と厳しい毎日を過ごしていた…。
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うしろの正面だあれ対象 : 全年齢 / 時間 : 90分昭和15年。東京本所区(現・墨田区)に住む八才のかよ子は、五代続いた釣竿店の娘で、働き者の両親と三人の兄、祖母の愛情に包まれて明るく健やかに育っていた。昭和16年12月8日、日本は太平洋戦争に突入し、町には出征兵士を見送る光景が見られるようになる。昭和19年6月、B29爆撃機の来襲が頻繁になり、かよ子はたった一人で沼津の伯母の所へ縁故疎開することになる。昭和20年3月9日の夜、沼津で箱根の山脈ごしに真っ赤に燃える東京の空を見るかよ子は、この大空襲で父も母も兄二人と弟、祖母の家族六人が死んだことを、唯一生き残った兄・喜三郎から聞かされるのだった…。
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象のいない動物園対象 : 全年齢 / 時間 : 79分敗戦の東京の町。戦争で父親と母親を亡くしたヒデとミヨ子。ヒデは靴みがきをしながらミヨ子を育てていた。ヒデは昔、両親に連れていってもらって見た上野動物園の象をどうしてもミヨ子に見せたくて動物園に連れていったが、象の姿はなかった。象係の三吉さんにきいたところ、象のトンキーは戦争のために殺されたという。ヒデはそれでもミヨ子に象を見せたくて、名古屋動物園にいくことを決心する。
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ジュノー対象 : 全年齢 / 時間 : 60分原爆投下直後の広島で救援活動に尽力したスイス人医師マルセル・ジュノーの人生をアニメ映画化。中学校の修学旅行で広島平和記念公園に立ち寄った美依と優子は、公園の片隅でジュノー博士の顕彰碑を発見する。すると突然、2人の意識は70年前にタイムスリップ。そこで2人は、広島の惨状に驚愕したジュノー博士がGHQを動かして現地に15トンの医療物資を届け、自身も治療活動に奔走する姿を目の当たりにする。
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キムの十字架対象 : 全年齢 / 時間 : 80分朝鮮半島の慶尚北道の村で育ったジェハとセファン兄弟の一家は、日本軍によって田畑を取り上げられ、きわめて貧しい生活を送っていた。やがてセファンは教会に通うになるが、日本軍のキリスト教弾圧を恐れた家族はセファンの将来を心配し、彼を山向こうの鍛冶屋へ預ける。その頃、日本軍は密かに長野県松代に十三キロメートルにもおよぶ大本営地下壕を掘るために朝鮮の人々を連れていっていた。そしてジェハも連れていかれ…。
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ゼノ かぎりなき愛に対象 : 全年齢 / 時間 : 74分1930年に来日して以来、戦中も帰国せず長崎の修道院で人々の心の救済に勤めてきたポーランド人修道士、ゼノ・ゼブロフスキー。彼は長崎原爆で被爆しながらも、戦災にあってお腹を空かせた子供たちを「カワイソウボウヤ」と呼んで占領軍からの救援物資を配り歩いたり、修道院に連れ帰って面倒をみていた。ところがある日、不満を抱く子供たちにそそのかされたゲンタロウ少年が修道院に放火。しかし、ゼノは決してゲンタロウを罵ることはなく、彼には愛が足りなかったのだと嘆くのであった。そして、ゼノの救済活動は東京へも及んだ…。